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Monday 28 July 2014

夏の日本、出張中

8ヶ月ぶりのブログ更新。
あっという間に時間が過ぎる中、ブログさえも更新出来てない自分がいることに軽い驚きを感じている。自分では結構マメに色々とやっているつもりでも出来てない物も多いという事だろう。この8ヶ月間の間に何度日本の地を踏んだのか、、、少なく見積もっても5回は越えているだろう。日本に仕事で出張する度に新しいイベントや出会いがあり、話題には事欠かないのだが、それを文章にする事自体が面倒くさいとか、そういう類いのことではなく、それ以上に優先してしまうイベントが多々ある故の結果なのである。

今、名古屋に滞在している。去年も夏の名古屋は経験しているのだが、やはり暑い。今朝も蝉の大合唱で目が覚めた。目覚まし時計なんて必要ない、と思う反面、それだけ歳とって自然の音に敏感になっていると思っている自分もいるのである。大阪や名古屋といった都市は緑が少ないのか、暑さも半端ではない。あと2時間もすると東京に向かう新幹線の中にいるのではあるが、この暑さを東京にまで持っていきたくない、などと勝手な事を考えている自分を思わず笑ってしまうのである。

今回の日本出張の目的は、サッカーの元日本代表の中田英寿さんの主宰のリバリューニッポンというプロジェクトで日本の伝統工芸を用い何かしらの物をデザインし創りあげ、それをチャリティーオークションにかけるというイベントに参加するということが一つ。それに東京でのいくつかの打ち合わせ、名古屋での大学の夏期講座の講師、という3つのイベントの為なのである。

中田さんのプロジェクトでは去年の11月にキックオフしてから、7ヶ月以上の時間と労力を費やして来た。喜多敏之さんのティームや、中田さん、深沢直人さんらそうそうたるメンバーのティームなど全部で5つのティームがあり各々がその年のテーマに沿って、製品をデザイン、製作するのである。今回のテーマは ’伊勢型紙’。型紙とはそもそも着物の模様付けの為の媒体である。それ故に型紙本体は表舞台には出てこない。今では後継者もいないような状態にあるらしい。このような貴重な伝統、文化は後世に残していかねばならないという中田氏の想いをアドバイザリーボードとデザイナー、そして型紙職人が形にして世の中にお披露目するのである。僕達のティームは畏友白洲信哉をアドバイザリーボードとして、型紙は起型紙商店社長の起さんにお願いした。今回そのお披露目の舞台となったのが福岡。会場となったグランドハイアットホテルで、先週末、大々的なチャリティーガラパーティーでのオークションが行われ、僕も英国でデザイン/製作した自転車をハンドキャリーで持参したのである。型紙と自転車という、どこに関係性があるのかわからないような組み合わせなのだが、型紙そのものを使うという逆転の発想で、そのハードルはクリア。製作に関しては別途述べるとしても大変な仕事であった事は確かである。
オークションそのものはロンドンのクリスティーズからオークショナーが来日し華やかな雰囲気の中で行われたのであるが、努力の甲斐あってオークションでは最高落札額600万円で落札されたのである。嬉しい反面、7ヶ月一緒にいた自転車とお別れだと思うと寂しい気持ちにもなった事はいうまでもない。

こういったチャリティーイベントで、それも自分の思ったように好きな物を好きなようにデザインし、製作出来るという最高な状況でのプロジェクトというものはそうはない。それ故にまた是非機会があったら、参加して新しい物を古い伝統文化で作ってみたいと思う。

さあって、東京にそろそろ行く時間だ。ホテルをチェックアウトして東京に向かう事にする。





(中田英寿氏主宰のリバリューニッポンプロジェクトでお披露目した自転車。僕自身の想いが十分にはいった作品でもある)

Friday 29 November 2013

旅ーおもてなしー考える事。

’旅’という言葉を聞くと、いかにも優雅な時間を過ごす為の行為、と考えてしまうのが一般的である。しかし’旅’の形にも色々な種類があるのも事実であり、楽しい家族旅行から、単なる仕事での物理的な移動という物まで含まれるのである。

僕の場合、後者の方が圧倒的に多いのも事実で、その物理的な移動の中での出会いや時間というものを大切にしているといっても過言ではない。ただ異なった土地で、もてなしを受ける身としては、旅そのもののあり方をも色々と考えてしまう自分がいるのもこれまた事実なのである。

実はつい先日、10日間ほどのアジア出張を終えロンドンに戻ってきたばかりで、時差ぼけもそこそこに仕事に勤しんでいるのである。今回はロンドンからアムステルダム経由で福岡に行き、その足で香港に飛んだ。香港からは高速フェリーでマカオに移動し、2日間のマカオ滞在のあとにまた日本に移動するという、持ち時間の割には忙しい日程をこなしていたのである。

今回、始めてオランダ航空のアムステルダムー福岡便を利用したのだが、これがなかなか便利で、わずか9時間40分で、欧州から九州の福岡に行けるのである。九州出身の僕のような人間が、家族で帰省するというような状況の場合にはかなり利便性が高いといえる。今回のような出張の一フライトとしては利便性は高くないにしても九州の空気を少しでも吸えるという意味合いでは気分的にはいいのかもしれない。欧州の航空会社が九州に直行便を出す事自体が初めてであり、オランダ航空はさしずめ、そのパイオニアということになるのだろう。フライトのほうも新しい機体で乗客もそう多くはなく、いい感じのフライトではあった。ただ、福岡に到着して思ったのは、九州一の都市とはいえ、国際空港という名にはほど遠い、という事である。福岡ほどの人口と規模があれば、もっとましなインフラが出来ると思うのだが、そこはローカルオーソリティーが単に国際化していないのか、それとも何が国際空港の条件なのかを知らないのか、理解に苦しむところもあり、今後注目される大都市福岡の行政に注目したいところだ。到着後、昔ながらに機体からタラップを降りる。ここまではいい感じだ。しかし、そこにはバスが待っていてターミナルまで乗客を運んでくれるのはいいのだが、このバスがその辺を走っているバスそのもので、インテリアに関しても何もデザインされていないのである。要は荷物の置き場がないということもそうだが、中途半端にシートがあったりで大柄のオランダ人達はみな窮屈そうに乗っているのだ。何もヒースローやシカゴのオヘア空港のような巨大な低床バスでなくともシートは最低限でいいから気持ちよく乗れるような低床バスであってほしかった。特に欧州から始めての直行便を、九州の代表する都市として迎え入れるのであるから、やはりその辺を考慮しないといけないだろう。僕としては唖然とするばかりか恥ずかしさを通り越して残念だ、という気持ちのほうが強かったのである。福岡に限らず日本という国自体がまだその辺にコンシャスになっていないということもあるのだろうが、東京オリンピックまでにはなんとかその辺の意識改革も含め、行政や空港関係者がきっちり動いてほしいものである。

明日で11月も終わりだ。年末になると家族で日本に帰省する予定だが、前述の福岡便は利便性という点ではかなりの高得点をあげているので、利用出来れば使用したい物である。わずか1、2ヶ月でのインフラの改革は望めないにしても、久しぶりに日本に行く家族がいい想い出の1ページを作ってくれればそれでいいのかもしれない。それに次回は出張という物理的な移動ではない旅であるからリラックスも出来るだろうし、楽しみにしながら準備をしたいものである。

Monday 30 September 2013

身体

前回のアジア出張を終え、ロンドンに戻ってきてからはや1ヶ月が経とうとしている。明日からは10月。秋と冬の端境期、神がいなくなる月、、色々な考え方があるだろうが、いずれにしても残り1/4年で2013年も終わるのである。

季節の変わり目のせいかどうかはわからないが、この1ヶ月の間に頭痛がしたり、ぎっくり腰になったりで、改めてまともな生活習慣の大切さを痛感した。

僕がロンドンで以前努めていたデザイン会社を辞めて、自分のデザイン会社を立ち上げたのが2000年。もう13年も前になるのだが、考えてみればその間まるで競馬の馬のようにがむしゃらに走ってきた。いい年もあれば、悪い年もある。その中で身体が資本だという事をすっかり忘れている自分がいた。ぎっくり腰になって動けない自分が何を考えていたか。。

元気なのが当たり前のように考えていた自分にとって、仕事場に行けないだけではなく、ちょっとした家事の手伝いや子供の世話の手伝いも出来ない、という状況は本当に辛いものだ。当然、仕事などとてもできるような状態ではない、この現実が、僕の身体に対してのいい意味での警告だったように思えて仕方が無い。

最近は、生活習慣を少し変えてみた為にすこぶる調子が良くなっている自分に気付く。
面白いものである。病は気から。とはいえ僕のぎっくり腰もそういったものと無縁でもあるまい。

今はなるべく運動をして、どこに行くにしてもできるだけ歩くことにしている。腰が完治したらジムにでも通って水泳と軽いウェイトトレーニングでも始めようと思っている。

どんなに忙しくても仕事で満足していても健康が第一だ。(とはいえ、好きな酒は止められそうもないが、楽しむ程度で呑む分には精神的にも肉体的にもいいらしい。。)

秋になって、周りの景観や気候は寂しさを増す。それとは裏腹にいっそう元気で活動する為にも、あまり小さい事を考えずにリラックスしながら頑張って行くことがプラスになると信じている。

楽しみながら、仕事をする。そのためには、好きな事だから無理してでもやれる、とは思わずに出来る事を満足しながらやる事に意味があるようだ。感傷的な秋だから、色々と考える事もあるようだが、一日一日を大切に人生を謳歌したいものである。

Thursday 12 September 2013

真夏の夜の夢2

前回の日本、そして韓国の出張の際にソウルのインチョン空港でブログを書きかけて、そのままになっていた。。気にかけてはいたのだが、移動に費やす膨大な時間と打ち合わせ等の時間追われ、疲れきってしまい、時間を見て続きを書こうという気力も体力も無く、ずるずると予定が延びてしまった。しかも気がつけば9月も半ばになっているではないか。。。

ロンドンに戻ってきてからも、出張で肉体を酷使したせいもあってか2日間ほど寝込んでしまった。とはいえ、仕事の納期は待ってくれない。薬で身体を騙し騙し家とオフィスを行ったり来たりの生活が何日か続いた。ただ、ここ2、3日は仕事の方も落ち着き、ようやく自分の時間らしい時間を取れるようになったのである。

今回の日本、韓国の出張(通称アジア出張)では、まずロンドンから大阪に飛び、時差ぼけの状態でそのままで名古屋へ向かった。猛暑の名古屋は、48歳の、それも時差ぼけのオヤジには正直辛かった。名古屋という土地は本当に暑い。それでも2日間の日程を終え猛暑の名古屋を後にしたとはいえ、次に待っていたのは猛暑の東京である。。

東京では、東日本大震災後の節電の影響もあるのか、どこにいっても冷房は弱冷状態である。当然普段のロンドン生活では想像だにしない大量の汗にまみれてごそごそと動き回るのであるから、仕事を終えホテルに戻るころになると、朝にはあれだけ美しかった折り目のきっちりついたシャツもあらかた、くしゃくしゃになっているのである。一日の間に2度も3度もシャワーを浴びる事になるのはいかがなものか、と一人ぼやきながらも久しぶりの ’日本の夏’ を楽しんでいる自分がいた事も、これまた事実なのである。とはいえ、長いヨーロッパ生活に慣れ親しんだ我が肉体は、夜になると、明々としている東京の街とは雰囲気の違う、慣れ親しんだ薄暗いバーに行くのである。本来、夜は暗いのが当たり前で、夏は当然暑いのである。したがって、ホテルで寝付くときも冷房の類いは全部スイッチを切り、真っ暗な中、窓を開けて寝るのである。東京のホテルの窓から聞こえるのは車の行き交う音くらいで、夏の風物詩の虫の声等は一切聞こえてこない。そうこう考えているうちに、微睡みながらも夢の世界へと入って行くのである。東京では昼間は昼間で仕事で忙しかったのだが、夜は夜で東京在住の友人達と会い近況を語り合ったりする事が出来た。まあ、簡単に言うと充実していた東京滞在だったというのが一番手っ取り早いのかもしれない。そうこうしているうちにあっという間に4日間の東京滞在を終え、次の目的地の韓国はソウルへと向かったのである。

ソウルも夏はかなり暑いらしく、東京並の猛暑だったのだが、全てを包む大気が、まるで秋を思わせる’天高い青空’だったことが、気分的にもかなりのプラスになり気持ちよく過ごせたのである。そのことも幸いし、全ての打ち合わせがスムースに進んだのである。ソウルでは、友人のジェイコブさんや、仕事絡みの人達にも多数会い、昼間は忙しくも充実した時間を過ごす事が出来た。夜は夜でまた別の充実した時間もあり有意義な2日間だった、ということを簡単に言っておかねばなるまい。

ソウルにもう1、2泊したいという衝動に駆られながらも、次の目的地である大阪へと向かったのは、日本に着いてから一週間が経った頃だった。大阪では三吉野君と落合い、心斎橋の三津寺筋にある、’佳味光月’ という割烹/日本料理へ出向き、旨い料理に舌鼓を打ったのだが、そこの’キンキ’という魚が滅法旨くて、次にまた行く日が待ち遠しくてならない。そして翌日の大切な打ち合わせもうまく進み、その足で熊本に行き、週末を両親と過ごし、こうしてロンドンに戻ってきたのである。

今回の出張のように色々な都市を動き回り、かつ仕事するのは大変な事だ。しかし自分で好き好んでやっているわけだから苦にもならない。何よりも仕事を通して色々な人達と出会い、夜は夜で会食や友人達と過ごす事が出来るという特権もある。おおかた、こういう時間は2度とは再現出来ないし、いうなれば夢のような時間なのである。それを今回も真夏のアジアで経験出来た事に対し、友人達や仕事先の方々に感謝しなければならない。

次のアジア出張までは、ロンドンで違った夢を見て過ごす事にする。

Monday 26 August 2013

真夏の夜の夢ー序章

前回のブログからはや3ヶ月。時間に追われる生活をしているとブログもままならない。
もちろん、時間を決めて規則正しくやれば出来るのだろうが、必ずしも規則正しい生活を送っている訳ではない僕にとっては定期的なブログ更新は無理なのかな。。反省しきり。

ブログとは本来日記であり、その日その日の思いや考えをペンに託すのが一番効率もいい。読む側にとっても、読まれる側にとっても、定期的なものが読んでいて楽しいことには変わりない。勿論、一日の中で時間の余裕があるときに’ブログる’ わけだが、今回も空港のラウンジからこれを書いている。

前置きはそのくらいで、実は僕は今、先週の月曜日の名古屋から始まった出張のまっただ中にいるのである。名古屋から東京に移動して、その足で韓国はソウルに飛び、ソウルでの仕事を終え、今大阪行きの飛行機を待っているのである。出張も後半に差し掛かり、どこに行っても暑いなか、身体に気をつけながら走り回っているのである。出張中には仕事以外にも色々な事がある。

出張中は昼間に仕事に没頭し、夜は、ほぼ100%で呑みに出る。それがこの真夏の日本や韓国での暑さの中でとなると、頭が割れるような冷たいビールから始まって、最終的にはウイスキーになるわけだが、その経過の中でのクライアントや友人達との会話には夢がたくさんある事に気がついた。。。

とかいたところで、搭乗のアナウンスが流れているではないか。。

真夏の夢の詳細は、またすぐ次のブログに書くことにして、今から僕は機中の人となる。

Tuesday 21 May 2013

畏友

日本に出張すると、仕事以外に友人達に会うという楽しみがある。これは何も僕が海外在住であるからという理由だけではなく、地元を離れて生活している人達には共通する感覚だと思う。僕の場合、地元=実家のある場所、となるだけでなく、地元=日本であり、そこに住む友人達に会う事はこの上なき楽しみなのである。

東京出張の際には、ほぼ毎回、畏友白洲信哉と会うのであるが、彼のストレートな性格は面倒くさい詮索をせずに済むという点では誠にわかりやすく有り難い。恥ずかしがりやな面も当然あるだろうが、友人の事を真剣に考えてくれるいい漢(おとこ)である。

2日前の日曜日、僕は表参道のホロホロというフレンチレストランに行った。レストランに着くとまだ、お店が開いてすぐということもあり、客は誰もいない。一人でテラスでビールを呑みながら信哉の到着を待つ。しばらくするといつもの調子でまじめな顔をした信哉が現れる。その場では旨い飯と旨いワイン、そして何よりも近況を分かち合う愉快な会話があった。彼はつい先日までキューバに行っていたこともあり、キューバの話で盛り上がる。キューバと言えばシガーである。話に夢中になっているうちに腹もふくれてきたせいか、ウイスキーが呑みたいとお互いに考えていたらしく、ウイスキーの呑めるところに行こうという事なった。しかし日曜日という事もあって、僕達のいたレストランの近くにはシガーとウイスキーを出すようなバーはやっていないのである。そこで、信哉の家に行こう!ということになり、ほろ酔い加減で彼の自宅へとタクシーを飛ばし、彼の家に着くや否や、ラフロイグを呑みながら彼の持って帰ってきた見た事も無い長いCOHIBAを吸う。いやーなかなかいい。会話も無く、ウイスキーとシガーの煙にその場の雰囲気がとけ込んでいるかのようだった。彼がおもむろに、彼の御祖父である、故小林秀雄氏の肉声CDをかける。小林秀雄氏を知らない人はいないとは思うが、彼の肉声のピッチはどことなく信哉のそれと似ており、酔っぱらっていたせいもあるのか、CDのカバー写真が信哉とそっくりだ。信哉は父方の御祖父、白洲次郎氏にも似ている。秀雄氏も次郎氏も全く違うタイプの人なのだが、信哉はいい感じのハイブリッドで、どちらにも似ているのである。

僕は小林秀雄氏のCDを聴きながら、最高のシガーと最高のウイスキーを味わうという最高に贅沢な状況の中で、時差ぼけのせいか、不覚にもいつの間にかソファの上で寝てしまった。ふと起きると時計は1時を少しまわったところだった。これはいかん、と信哉を捜すと信哉もいつのまにかソファーに寄りかかって寝ているではないか。僕が先に寝てしまったせいか、彼も一人で何もする事も無く、いつの間にか睡魔に陥ったのだろう。あー俺はなんと言う事をしでかしたんだろう。。という後悔の念と同時に信哉の人柄、つまり、寝たいやつは寝ればいい、という無言のストレートな気持ちを感じたのは言うまでもない。

信哉から土産でもらったキューバの珈琲と小林秀雄氏のCDを抱え、彼を起こさないように忍び足で彼の家を後にした。帰りの雨の中を傘も無く歩きながら、畏友と呼べる友達がこの歳になって出来た事に感謝し、ホテルのある赤坂へと戻ったのだった。

そうそう、僕の想い出の本がまた1ページ増えた事も付け加えておかねばなるまい。




            (信哉宅にて、ラフロイグとCohiba)

Sunday 19 May 2013

東京出張

今東京に来ている。今日で3日目になるのだが、金曜日に成田についてから今日まで、かなり密度の濃い週末になった。

ついたその日はやるべき仕事を終え、晩には茂木健一郎氏とその有志達との飲み会にさそわれていたので、その前にホテルで休んでから出かけようとベッドサイドに座ってテレビをみていたのだが、ふと気がつくと時計の針は2時間ほど進んでる。どうも気がつかないまま、寝てしまっていたようだ。シャワーを浴びて気分を切り替えて新宿へ向かう。
指定された店の前にくると、電通の佐々木さんや、今注目のアーティスト植田工さんが満面の笑顔で迎えてくれた。店の中をのぞくとほぼ同時に、’おーーーアキオ!!”という茂木さんの声が響く。久しぶりに会った茂木さんはあいかわらずエネルギッシュで元気だが、気のせいか髪に白い物が増えているように思えた。挨拶もそこそこに隣に腰を下ろして最近の英国のことや今の日本の事などを話しているうちに加速的に呑むスピードが速くなっている自分がいた。’おいアキオ、ゆっくり呑もうよ!” と言われる幕もあったが、白髪まじりベートーベンのような風貌になっている彼の笑顔には全くもって屈託がなく話す相手を包み込むようなやさしさがある。短くも楽しい時間だった。

その飲み会がお開きになって、一人で西麻布に向かい、無垢の渡邉さんにところに挨拶がてら寄り、その後 渡辺倫明さんと合流。彼は畏友白洲信哉を通して出会った友人の一人だ。気さくな人柄もそうだが、骨董や車、腕時計といった男の心をくすぐるものに関しての造詣が深く、結構話が盛り上がったりするのである。(骨董以外は。。)

そうこうしているうちに東京初日が夜明けとともに終わっていった。

僕の場合、週末に東京にいる事はほとんどない。仕事がメインで来ている場合、普通東京でゆっくりとするという事が無いのである。それ故、今回の週末をはさんでの東京は、仕事の準備をしながらも、人と会う時間を設けて充実したそして、楽しい時間を過ごせた事は事実で、こういう滞在日程も今後考慮に入れなければならないと思ったのも事実だ。

昨晩は昨晩で畏友白洲信哉と夕食を共にして色々と話をしたのだが、この件は次のブログにとっておかかなければなるまい。